「あーと2日!あーと2日!」
「何があと2日なんだ?反町」



 ~ キス、それから ~




夏休みが始まって1週間ほどが経った。今日もあちいなあ、と寮の窓から空を見上げる。蒼が濃い。雲が無い。嫌になるほどの上天気だ。


中等部に入ってから二度目の夏だ。休みに入ってすぐに家に戻った奴もいるけれど、大半が運動部の人間が入っているこの寮のこと。閑散とするでもなく、普段とそれほど変わらない。強い部ほど夏の終わりにならなければ休みなんて無い。勿論、その状況は願ったり叶ったりなんだけど。
万が一さっさと敗退しちゃったりしたら、それはそれで練習を強化されるだけだし、精神的にその方が辛い。だいぶヤバイ。俺たち2年はまだ来年もあるけれど、3年にとっては最後だしね。


今日も朝からサッカー部の練習がある。惰眠を貪る訳にもいかず、朝メシを食うために島野と一緒に寮の食堂に入る。既に席について食べ始めている奴も多くいて、声が反響してガヤガヤとうるさい。
俺もトレーをもって列に並ぶ。どこに座るのかはもう決まっているので、特に席取りの必要もない。俺が座るのは、日向さんの真向い。正面から日向さんの綺麗な顔を眺めながら食べられる、最高の場所なんだよね。
でもって健ちゃんは日向さんの左隣で、日向さんの完璧な横顔のラインを見られる、これまた最高の位置。
この二つの席は空いていたとしても、誰も断りなく座ろうとはしない。たとえ先輩であっても。

その席に俺はこんもりと朝食を載せたトレーを運んで座る。寮の朝食はビュッフェ形式なので、好きなものをとってくればいい。まあ、今ここにいるのはこれから運動をする奴らばかりなので、大抵がパンじゃなくて米に味噌汁、それに合うおかずをチョイスしているんだけれど。

その時に俺がルンルンと浮かれて冒頭の「あーと2日!」をつぶやいていると、焼き魚をほぐしていた日向さんが尋ねてきたのだ。よくぞ聞いてくれました、日向さん!


「あーあ、聞いちゃった・・・」
「そんなの無視していいんですよお。日向さんってば」

同じく朝飯の乗ったトレーを手にして席に着こうとしていた島野と小池が茶々を入れてくる。うるせえ。お前らのそんな声こそ無視だ無視!シカト!

「あのねえ、日向さん。あと2日で7月26日がやってくるんですよう」
「・・・そう、だっけ?今日は24?」
「そうなんですよう。でね、なんと!7月26日は、反町一樹くんのお誕生日なんですうー!」
「・・・へえ」

心なしか日向さんのテンションが下がる。そんなことを聞きたい訳じゃなかった、と言わんばかりの反応に、俺も地味に傷つく。

「へえっ、て!俺、の、誕、生、日!ですよ!日向さんより一足先に、14歳になっちゃう訳ですよー。お兄ちゃんだよ!お兄ちゃんって呼んでもいいよ!ってか、何かお祝いの言葉があってもよくない!?」
「んなの、当日でいいだろ。・・・つうか呼ばねえし。お前無駄にテンション高えし」

・・・そりゃ、俺の場合はね。誕生日がどうこうじゃなくたって、この夏はテンションだって上がるってもんですよ。


去年の夏だって、同じようにサッカー三昧だった。
他に楽しい遊びをする訳でもなく、試合試合試合で、しかも最後に南葛に敗れるというおまけ付き。
夏が終わってから、俺は茫然としたものだ。反町一樹、これは一体どういうことなんだろう?、と。

気が付いてみれば自分の日常は、初等部の頃に想像していた中学生活とは全く異なっていた。勉強テキトー、部活ホドホド、仲間とダラダラ過ごす予定だったのに、全く真逆のスポ根な毎日。どう考えたって俺のキャラでもないのに、いつの間にか熱血ド根性な世界にどっぷりと浸かっていた。

中等部になったら彼女を作って、図書館デートしたり、グループを作って出掛けたり、動物園やら遊園地にも行ったり、ちゅーとか、ちょっとその先も・・・なんて夢を思い描いていた小学生時代の俺に罪は無いだろう。中学サッカー界の日本一を目指して、朝から晩までしごかれまくっている今の状況の方が、多分世の中の一般的な中学生からすればイレギュラーだ。
ここにいる限りは夏休みといっても、海外旅行もリゾートも、海辺のBBQも夏祭りも縁が無い。いや、お祭りくらいは練習が終わってから行けるかもしれないけれど。それにしたって自由な時間は昔に比べると格段に無いのだ。


本音を言えば、なんでサッカー部なんかに入ってしまったんだろう・・・と、思う時が無い訳ではなかった。

もともとサッカー経験者でもないし、小学校時代からやっている奴に比べれば技術的には今でも追い付かない。俺が負けないのは足の速さと、ハートの強さくらいなものだろう。
1年の時は当然ながらレギュラーなんて夢のまた夢で、練習メニューも初心者だからって別にされて。
毎日毎日クッタクタになるまでグラウンドを走らされて、下っ端だから雑用も多いし、ボールの点検やらゴールネットの補修やらをしながらレギュラーメンバーが練習しているのを見ると、マジで辞めたくなった。



だけど、この夏は違う。

2年生ながら、俺は背番号の入ったユニフォームを渡されたのだ。スタメンではないけれど、ベンチには入れる。チャンスがあれば試合に出られる。

正直、この1年間頑張ったとは思う。だって下手くそなんだから、人よりも頑張らなくちゃいけなかった。必死になっている姿を見せるのは俺のスタイルには反するけれど、でもなりふり構っていられないところもあった。

日向さんと一緒に試合に出る。それを目標にしてきて、ようやくそれが叶うところまできたんだ。都大会のベンチ入りメンバーに選ばれたと知った時には、信じられなかった。だって俺よりボール捌きの上手い奴は沢山いる。
吃驚して嬉しくて、思わず日向さんを振り返ったら、日向さんもさすがに表情には出さないものの、目で合図してくれた。『やったな』って。

これでテンションが上がらなかったら嘘だ。今年の誕生日は特別であったっていいじゃないか。自分でいうのもなんだけど、俺、本当に頑張ったし!

「まあとにかくさ、そういう訳であと2日で誕生日なのですよ。だから日向さん。プレゼント、なんかちょうだい」
「俺、金ねーぞ」

間髪いれずに返ってきた言葉。ジロっと健ちゃんに睨まれる。金目のものなんて欲しいと思ってないし、日向さんを困らせようとも思ってないんだけどね。

「お金かかるもんなんかいらないよ。ただ、そうだなぁ。ギューってしてくれるとか、頭撫でてくれるとか。あーでも、俺がお兄ちゃんだからね。ギュっとさせて貰おうかな。それとも、ほっぺにちゅーがいいかなあ」

最後はハードル上げてみた。ちゅーにはさすがに周りからブーイングが上がる。

「反町、おまえベンチ入り決まったからって調子こいてんじゃねーぞ!」
「スタメンにもなってないのに、日向さんのちゅーなんて贅沢言ってんなよ」
「何でだよ、言うだけならタダじゃん!」

別に俺も日向さんが聞き入れてくれると思っている訳じゃないし、冗談で言っているだけ。そもそも試合用のユニを貰ったってことが、何よりの誕生日プレゼントだ。
これまで俺の自主練に、日向さんも度々付き合ってくれた。だから、試合に出られるかもしれない今の状況は日向さんのお蔭でもある。
日向さんだってレギュラーとしての練習があって疲れていただろうに、それが終わってから初心者の俺に、基礎からテクニカルなことまで意外なほど細かく教えてくれた。ボールを持ったら一直線なイメージのある日向さんだけど、別に技術が無い訳じゃないんだって、俺はその時に知った。



ふと、顔に影が差した。

目線を上げると日向さんの顔がドアップで・・・

え、と思う間もなく近づいてきて、思考がそこでストップする。
そのくせ、美人は近くで見てもやっぱり美人なんだなー、肌もきめ細かくて綺麗だなー、伏せた目の睫毛が長いなー・・・なんて、現実逃避みたいにどうでもいいことを考えていると、やがて頬に柔らかいものが押し当てられた。

食堂のあちらこちらで、どよめきが起きる。

瞬きするほどの短い時間だったけれど、確かに、間違いなく俺の頬を、目の前の美人さんの唇がかすめていった。



「こんなんでいいのか。お前、結構安上がりなのな。・・じゃ、ごちそーさん」


テーブル越しに身体を乗り出して俺にキスをした日向さんは、にっと笑ったかと思うと、空の食器を載せたトレーを持って席を立つ。そのまま振り返りもせず、騒然とする食堂を去ってしまった。

「・・・はあっ!?え?何で?・・・ちゅー?ちゅーしてもらった!?俺?」
「しっかりしろ、反町。声が上ずってるぞ。・・・うわ、やべーな。他の部の奴らも注目してる」
「それにしても、なんて男前な笑顔なんでしょ。これだけ騒がせて振り返りもしないって、ある意味すげーな、日向さん」

多分真っ赤になっているであろう顔を手で覆って、感動やら動揺やらでぷるぷると震えて「何で俺、もっと堪能しなかったの!?」なんてその瞬間を振り返ったりしていると、人の悪そうな顔をしてニヤついている健ちゃんとバチッと目が合った。

「・・・何よ」
「なんでオネエ言葉だよ」

うっさい。いいんだよ。

「一つ教えておいてやろうか。ごちそーさんってのは、あれ、本当に食事に対して言っただけだから。そもそもあの人、スキンシップ激しくて、頬にキスくらいなら親しければ普通にやるから」
「え?うっそ!」
「タラしてる自覚ないからな。天然なんだよ、あれ」
「・・・そ、そーなんだ。タチ悪いね・・・」

健ちゃんが言うのだから、本当にそうなんだろう。日向さんのことだから、確かに狙ってのものとは思えないし。
しかし無自覚って何なんだよ、それ。手に負えねえよ。

「まあ、あれはブラコン激しい弟妹たちのせいでもあるな。あそこんち、兄弟同士で抱き付いたりキスしたりなんて、普通にされてたし、していたから」

普通あり得ねえだろ、と健ちゃんは言う。

それはそうだ。俺には兄弟はいないけれど、昔遊びにいった友達の弟や妹を思い浮かべても、考えられねえもん・・・。




そこで俺は気が付いた。

「え、じゃあ何?これまでももしかして、ちゅーして、って頼んでたらしてくれたってことなの?」
「人によるけど。さっきの程度なら、してくれたかもしれないな。お前なら」
「そんなの、早く言ってよー!1年間ムダにしちゃったじゃん!やだあ、こんなことならねだり倒せばよかったあ」

地団太踏んで悔しがる俺を尻目に、健ちゃんもいつの間にか食事を終えていて、トレーの上に食器を重ねている。

「言っておくけど、日向さんに懐くくらいならいいけど、それ以上になりたいってなら止めておけよ。結構な奴らを相手にしなくちゃいけないからな。やたらと頭の切れる優男とか、見た目はアイドル顔負けなのに中身屈折しまくった奴とか、押しの強い俺様金持ちボンボンとか。・・・まあそれでも、お前が名乗りを上げたいって言うなら反対はしないけど?」
「・・・・あのー。優男はなんとなく分かる気がするんですけど、アイドルとボンボンというのは一体どなたなんでしょう?」

その質問には、健ちゃんは口の端を上げるだけで、答えてはくれない。

きっと、そのうち分かる・・・ってことなんだろう。
それにしても男ばかりっていうのはどういうことなんだよ、日向さん・・・とも思うけど。

っていうか、その 『結構な奴ら』 の中に健ちゃ・・・若島津、お前は入っていないのか。『自分は別格』 みたいな顔をして取り澄ましているところが気に喰わない。つい剣のある目つきでじとーっと見てしまう。

「・・・名乗り、上げちゃってもいい訳?俺、諦め悪いし、こう見えても結構しつこいよ?」
「どうぞお好きに」

余裕綽々といった表情を見せて、若島津も食堂を後にした。






残された俺の周りは、全くもって微妙な雰囲気だ。島野と小池も、他人のように知らんふりして飯を食っている。

まあ、そんなことはどうでもいい。問題は俺だ。14歳を目前にして、自分の人生を左右する重大な選択を迫られているのだから。

この学校はエスカレーター式の男子校だし寮もあるしで、真偽はともかく、誰と誰が付き合っているとか、男同士なのにデキているとか、その程度の噂ならこれまでも耳にすることはあった。
だけど俺は普通に女の子が好きだし、関係ない世界だと思っていた。ついさっきまでは。

          柔らかかったなあ・・・。

静かに押し当てられて、すぐに離れていった唇は、同じ男なんて気にならないほど柔らかくて、気持ちよくて。

          また、シタイ。

またしたい。して欲しい。今度は頬じゃなくて、できれば唇に。

そんな風に思ってしまう自分に何の違和感もなくて、そのことに逆に吃驚する。


『 どうぞお好きに。・・・そう上手くはいかないだろうけど 』

あれは牽制というよりは、一種の宣戦布告とみていいだろう。お前なんかで上手くいきっこねえだろ、バーカ!・・・ってな感じか。
そう言われれば俄然燃えるのが俺。お前には無理だと諌められたり、難しい状況にあればあるほどやる気になるから、天邪鬼って言われるんだな。

「・・・よっしゃ!一丁やってやろうじゃねえの!」

突然に大きな声を上げて気合を入れた俺に、隣の島野と小池が残念なものでも見るような視線を寄越してくるけれど、そんなものは気にならなかった。


男同士だからどうだとか、そんなことを考えても感情は別物なんだからしょうがない。好きなものは好きなのだ。勿論、これまでだって日向さんのことは大好きだった。同い年であんなに尊敬できる人は他にはいない。
だけど頬へのキス一つで有り得ないくらいに鼓動が跳ね上がって、それはもう、気づかざるを得なかった。恋愛対象としてあの人が好きだということに、気が付いてしまったのだ。

俺は中等部に上がったらする予定だったアレやコレを、日向さんとしたい。女の子じゃなくて、日向さんがいい。


誕生日の本番はこれからやってくる。
何の支障もなく頬へのキスを貰えちゃったので、その日はドーンとレベルを上げて、マウストゥマウスのキスをねだってみよう。
・・・さすがに殴られるだろうか。それとも、またにっと笑って、掠めるようなキスをくれるだろうか。





14歳の誕生日まであと2日。

俺は安寧の日々を捨て去り、代わりに男相手の 『恋』 に振り回されるであろう厄介な、これ以上ないくらいに厄介な人生を選択した。それは若島津の言う 『結構な奴ら』 と張り合うことを意味していたけれど、恋の成就に立ちはだかるそれらの障壁を俺が知るのは、もう少し先のことになる。





END

2015.07.26

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