いいか
俺がこれから言う事を聞け
一言一句、残さず聞き取れ
俺が、
これから先、
どす黒い不幸を
朽ち果てるその時まで背負ねばならないのはわかっている
だからこそ、お前には逃げてほしいのだ
そんな悲しい目で、俺を見ないでくれ
悲しいのは俺であって、お前ではないだろう

いいか、待ってやる
逃げるんだ
殺そうとする俺から

俺は殺さねばならない
お前を所有したかったのではない
愛玩したい訳でもない
ただ
この何もない白い朽ちた場所に
どうしてもお前を連れてきたかっただけなのだ

人々に崇拝されながら朽ちて死にゆくお前を
世界の果ての何もない枝先にぽつんと置いてみたら
どんなに美しいだろうと思っただけだ
けれども俺は気が付いてしまった

果て先の白い虚無の中
ふたりきりでお前といると
俺は過去の残像が脳裏をめぐって仕方がない

裏切る事、
悲しみの事、
寂しさの事、
死する事、
愛されぬ事
全てが圧し掛かってどうしようもなく身体が重くなるのだ

眩暈の中心に落下して這い上がれず
ただただ上を見るとお前が静かに笑っている
初めは無理矢理攫ってきた後悔の念かと思ったが
どうやらそれは違う

お前と二人、全てから隔離されているのを喜びとして
その裏には黒雨がざあざあと降り注ぐのだ
その雨は俺を溶かしていく

俺はお前が怖い
どうしようもなく怖い
罪なきそのちろちろと動くふたつの眼球が
俺を見つめる度に無言で攻め立て
赤い舌は俺の小さき丘を噛み切ってやると笑う
その唇が「殺せ」と密やかに囁く
もう何度叫び幼い胸に爪を立てて握り潰そうとしただろう
衣擦れの音も呼吸の音も瞬きさえも
全て黒雨になり流れこんで来るようになってしまった
黒雨はやがてへどろになり
俺の耳や口を塞ぎ、手足に絡みついてゆく

だからお前に逃げろと言ったのだ
俺はお前が恐ろしい
狂っている俺から逃げようとしないお前が恐ろしい
けれども、俺は今、己が一番恐ろしい
視界の先端が赤黒く染まっている俺自身が

雪と同じく白き色のお前の着物を汚し染めている俺の手は
きっと美しいことだろう
お前の喉から干からびた空気の音がして
白い歯が飴玉のように光るであろうか
碧光る黒髪を鷲掴みにして
爪先が黒く染まり生暖かく滑る俺の指で
菓子のような小さな歯をゆっくり抜いてやる
口に含めば、俺はひとりきりで泣けるようになれるのかもしれぬ

雪積もるこの場所から逃げろ、お前
小鳥のような足跡を追うつもりはない
目を閉じて、百を数えるから
その間に俺の目の届かぬ所へ行ってくれ
目蓋を閉じると残像が踊る
数える声が震えるぞ

ああ、降り注ぐな
すべてが真っ黒だ
煩悩的戯言