純ブカツ系テニスの流儀
〜杉並・中学ブカツテニスを全国の部活動支援のモデルに〜
ロック・ミュージシャン/中学ブカツテニス専門コーチ
深田悦之

 


 

ロック・ミュージシャンで音楽プロデューサーの私、深田悦之は、2003年、東京都の義務教育で初の民間校長として杉並区立和田中学校の校長に就任した藤原和博氏の要請を受けて、和田中の音楽授業をサポートする外部講師として学校支援活動を始めました。
 その翌年、2004年度からは、教員の異動で指導者を失った同校の硬式テニス女子部の外部コーチも務めることになります。社会人になってからテニスを始めたウィークエンドプレイヤーでしたが、親友でもあり、テニスの師と仰ぐ坂本真一プロ(1984年全日本テニス・シングルス・チャンピオン)から学んだことを手がかりにして、ブカツをひとつのエンタテインメントと捉え、向かい合う子どもたちの目線に立ち、教員や保護者など、関係する大人たちにとっても楽しくて納得度の高いチーム作りを目指してきました。
 その8年に渡る部活動支援の中で蓄積してきた、中学ブカツテニスを盛り上げるためのノウハウを「純ブカツ系テニスの流儀」と名づけました。これはロック・ミュージシャンの視点によるテニス・コーチング、チーム・マネジメントと、和田中を取り巻く杉並区のテニスの特色が有機的に結びついて形になったものでもあります。
 この「純ブカツ系テニスの流儀」と名づけた部活動支援は、現場で直接関わる教員やテニス事業者の方々からの賛同をいただいており、すでに和田中という枠を越えた杉並区全体の動きへと広がろうとしています。この杉並の中学ブカツテニスの動きは、学校支援で地域に活力を戻そうとしている全国の教育現場が求める、新しい部活動支援のモデルにもなりうると確信しています。

 
純ブカツ系テニス
 「純ブカツ系テニス」とは、中学校の部活動で初めてラケットを握り、競技としてのテニスを始めた子たちが、2年3ヶ月の活動期間で、個々の運動能力の中でボールを打ってラリーを続けることの面白さを知り、仲間とともに練習しながら競い合う意味を学び、生涯スポーツとしての硬式テニスの基礎を身につけるチームテニスのイメージです。
 教育活動の一部として育まれてきた部活動の利点を生かし、学校内の限られたスペースを使って多人数で練習をすることを団体競技と捉えて、部員、部員保護者、教員にとって納得度の高い部活動の形を目指す「純ブカツ系テニス」のコンセプトは、他の競技部、文化部など、これからの部活動に求められている運営の指針にもなるはずです。
 
 
 
教育現場が切望している中学・部活動への確かな支援
 平成24年度から施行された教育指導要領では、それまで教員の職務から切り離す方向にあった公立中学校の部活動が教育活動の一環として位置付けられました。これによって学校サイドにとっての部活動に対する責任が増すことになるのですが、教員にとっての部活動指導は職務とは規定されていないボランティア状態のままです。教務、生活指導、学級経営などの職務に多忙を極める教員だけの手に、生徒、保護者にとって納得感のある部活動運営を期待するのは非現実的であるといっても過言ではありません。
 そんな状況の中でも、中学生たちの心身の健全な成長はもちろん、日々の生活指導面においても、部活動が担う重要な役割りを教員の誰もが認識しているだけに、部活動に対する外部からの確かなフォローアップを切望する声がますます強くなってきています。
 もちろん、その競技やジャンルに精通していて、部活動指導を精力的に行う教職員もいます。そういう教職員がいるからこそ大会やコンクールなどが運営されて部活動が存在しているのです。しかし職務スタンスの微妙さもあって、積極的に部活動に関わろうとする教職員の数は減少傾向にあります。しかも公立校の教員には人事異動があり、5年から6年で必ず学校を変わらなければいけません。教職員の手だけで活発な活動が行われていた部ほど指導者を失ったダメージは大きく、その後の学校運営に多大な負担をかけることになってしまいます。
 様々な側面から見ても、これからの中学校の部活動には、なんらかの形で外部支援者とのつながりを持ち、顧問教員が変わったとしても日常的な活動が停滞しない形態を持つことが必要です。子どもたちのためにも、学校を中心とした地域にとっても、教員、保護者、外部指導員のそれぞれが、担うべき役割りを理解した新しいブカツの形が提示されることを現場は求めています。
 
テニス界が求める中学・部活動でのテニス(硬式)のさらなる普及・振興
 一方、テニス(硬式テニス)という競技に目を向けると、テニス界全体で、今後起こりうる少子化が生みだす競技人口減少に歯止めをかけ、さらなる普及と振興を求める声が大きくなってきています。この問題の解決方法のひとつとして、生涯スポーツの起点となる中学の部活動で、いかに硬式テニス部の活動に活力を与え、この世代の競技人口を増やし、それを安定化できるかが大きな鍵となります。
 中学の部活動でテニスといえば、全国的に見れば教育現場で発展したソフトテニス(軟式)が主流です。かつて欧米から日本にテニスが持ち込まれた頃、ラケットやボールといった道具が高価だったため、その代用として日本で考案されたのが軟式テニスです。その後、学校現場を中心に発展した軟式テニスは、ルールや技術的な面でも独自の世界を構築していき、硬式テニスとは別競技としての歴史を刻んできました。
 道具も手軽に求められるようになった現在では、中学生になる子どもたちがやってみたいテニスは硬式でしょう。でも部活動となると教員が指導しやすいソフト(軟式)テニスしかないという地域がまだまだ多いようです。ソフトテニスが、その成り立ちの過程でルールや技術面で硬式テニスと互換性が少ない異種競技になってしまったために、同じ軟式がある野球のように軟式から硬式への転向がスムーズにはいきません。これが野球やサッカーのように、小学→中学→高校・・・という若年層でのテニス競技者層の裾野が広がらない要因のひとつと言ってよいでしょう。
 決してソフトテニスという競技の存在を否定するものではありません。これまでの日本の学校スポーツにおけるソフトテニスの貢献は多大なものがありました。しかし教員主体だった部活動の形が変わろうとしている今、国際性も高く、生涯スポーツとして高齢になっても続けられる硬式テニスが、中等教育の一環としての部活動で役目を果たす時代になってきているのだけは確かです。
 
学校現場が求めている部活動に適したテニスの技術指導、ブカツ運営方法の確立と普及
 そんな全国的な中学ブカツテニス事情の中で、深田が部活動支援をしてきた和田中のある東京都杉並区は、区内の中学校15校に、男女に分ければ25の硬式テニス部がある(平成23年度3月現在)硬式テニスの盛んな地区です。個人戦の東京都大会出場権をかけた杉並、練馬、中野の3区によるブロックでの予選トーナメントでは、女子シングルスだけでも300名以上のエントリーがあるという競技人口を持っています。
※杉並区内で硬式テニス部のある中学校
男子公立:阿佐ヶ谷、井草、井荻、天沼、向陽、西宮、神明、杉森、富士見ヶ丘、東田
男子私立:日大二、国学院久我山
女子公立:井荻、井草、向陽、神明、杉森、西宮、東田、富士見ヶ丘、和田
女子私立:日大二、国学院久我山、女子美、立教女子
 杉並区には、これだけの中学・硬式テニス部があるわけですが、日常的に十分な練習環境が整っているといえる学校は決して多くはありません。1面のコートで20名以上の部員がひしめくような状況で活動をしているチームも決して珍しくありません。
 そのような現場からは、かつて学校現場で教員の手によって発展したソフトテニスのように、これからの中学の部活動に適した硬式テニスの技術指導、運営方法の確立、普及が求められています。それがなければ、せっかく硬式テニス部が増えても、増えれば増えるほど中学の部活動では指導・運営の難しい競技という印象が増幅してしまいます。そんな現状の中で、深田が和田中テニス部を指導しながら積み上げてきた「純ブカツ系テニスの流儀」は、今まさに現場が求めている中学ブカツテニスの技術指導、ブカツ運営を具体化したひとつの例であると自負しています。

コート不足で困窮する大会運営
 深田に「純ブカツ系テニスの流儀」を伝える時間と機会を与えていただければ、多くの中学校の「純ブカツ系チーム」の日常的な活動を活気づけることはできると思います。ただ、バスケットボールやバレーボールであれば一度に10人から12人が同時にゲームに参加できる広さを、2人もしくは4人で占有してゲームを行うテニスは、ひとつのコートを大勢で使う練習環境の中では、実戦に即したゲーム形式の練習は極めて困難です。だから「純ブカツ系チーム」に属するプレイヤーたちにとっては、数少ない公式大会だけが日々の練習成果を実践する貴重な機会となります。ところが今、試合会場となるコートの慢性的な不足が原因で、純ブカツ系テニスプレイヤーにとって満足度の高い大会運営ができない状況が起き始めています。

※杉並区の中学校・硬式テニス部が参加する中体連関連大会
4月後半 個人戦(シングルス/ダブルス)第3ブロック(杉並/練馬/中野)大会
※シングルスはブロック上位10名程度、ダブルス8ペア程度が都大会に出場
 勝ち上がれば関東大会、そして8月に行われる全国中学校選手権へ
6月初旬 団体戦・東京都大会(→関東大会→全中)
7月中旬 東京都総合体育大会団体戦・第3ブロック予選
      →上位2校が有明テニスの森で行われる本大会に出場
7月末日 杉並区総合体育大会団体戦(※3年生引退)
8月 新人個人戦・第3ブロック予選
10月 新人団体戦・東京都大会
11月 杉並区総合体育大会・新人団体戦
12月 第3ブロック新進大会・ダブルストーナメント
 公営コートの少ない杉並区での地区大会は休日の学校施設を使って行われますが、教員にとっての部活動がボランティア同然という状況の中で、顧問教員の負担がさらに大きくなる会場提供までは引き受けられないという学校が増えています。特に個人戦では、限られた期間で予選を消化して、都大会出場者を決めなければいけません。そのために全体のエントリー数を限定して大会規模を縮小化せざるをえない状況に陥っています。実際に東京都第3ブロックでもコート提供のない学校のシングルス出場者は8名までとして、コート提供のある学校でも最高16人までというエントリー制限が24年度の春から実施されています。
 先にも述べましたが、全国大会へとつながる個人戦の東京都大会出場権をかけた第3ブロック予選では、女子シングルスだけとっても毎回300名以上のエントリーがありました。その中から予選を勝ち抜いて都大会へ出場できるのは10名程度。その数少ない枠のほとんどを、幼少の頃から民間テニスクラブのスクールでテニスを学び、テニス協会主催の年代別ジュニア大会などにも参戦してキャリアを磨いている「クラブ系ジュニア・プレイヤー」たちが勝ち取っていきます。
 それ以外の95%、学校の部活動中心に練習を重ねている「純ブカツ系プレイヤー」たちにとっては、ブロック予選や区大会といった地区大会だけが活躍の場です。だというのに、このまま地区大会の運営状況が改善されずに、さらにエントリー数が制限されて試合に出られない子が増えていけば、日常的な活動のモチベーションは落ちて、チームの一体感を保つのがますます困難になるでしょう。そういう状況はいずれ、教員の生徒に対する生活指導面にも少なからずの影響を与えることになってしまい、硬式テニスは中学の部活動には向かない競技だという印象を強めることにもなりかねません。
 またテニス普及・振興という面から見ても、大会規模縮小から試合に出られない部員が増えて、彼らのモチーベーションが低下すれば、退部者が増え、入部者も減るという悪循環を引き起こし、競技人口の減少ということにもつながっていくでしょう。とはいえ、特に都市部では、活動スペース確保の問題は簡単に解決できるものではありません。そういう悪い流れを食い止めながらブカツテニスを元気にする方策としても、「純ブカツ系テニスの流儀」は効力を発揮します。まずは、この「純ブカツ系テニスの流儀」の軸にもなっている「団体戦」の価値を高めて、「純ブカツ系プレイヤー」たちにとっての活躍の舞台をもっともっと魅力的に演出することです。

中学ブカツテニスの核となる3つの団体戦
 深田が8年間指導してきた和田中テニス女子部は、やはり地区大会を活躍の場とする、95%のゾーンに位置する「純ブカツ系チーム」です。部員たちは、新年度に入るとすぐ、4月後半から5月初旬に行われる個人戦ブロック予選を戦います。それが終わると団体戦シーズンへと入ります。ここから7月の終わりまでの3ヶ月間にある都大会団体、都総体団体・第3ブロック予選、杉並区大会団体という3つの団体戦を戦っていくj中で、中学ブカツテニスにとって欠かせない要素である「チーム」という意識を築き上げていきます。
 実はこの3ヶ月間にある3つの団体戦というのが、杉並の中学テニスが中学ブカツテニスのモデルとしてアピールできる貴重な財産なのです。この3ヶ月間という時間と、3つの団体戦がなかったら、たぶん深田は和田中テニス部を、ここまで魅力的なチームへと導くことはできなかったでしょう。
 「純ブカツ系テニスの流儀」とは、中学で初めてラケットを握る子たちが中学生のうちにちゃんとテニスができるようになるための指南のようなものです。そこには顧問教員にとって負担の少ない活動時間の中で行う、12歳から15歳という成長期の身体に対しても無理のない効果的な練習内容が織り込まれています。そうやって2年間ラケットを振り続けてきた新3年生たちは、4月後半に行われるシングルス、ダブルスの個人戦を経て、やっとテニスがテニスらしい形になってきます。そこから中学ブカツテニスの仕上げともなる団体戦のシーズンが始まります。

3つの団体戦を3年生全員がコートに立って戦う
 中学の団体戦はダブルス2試合、シングルス3試合の5試合を戦って3勝した方が勝ちます。ですので1試合で合計7人の選手がコートに立つことができます。そこで和田中では、もし3年生部員が10人いたとしたら、1、2回戦で10人全員がコートに立って戦うというオーダーを組みます。
 もし都大会団体の1回戦で負けてしまい、2回戦に出場する予定だった3人がコートに立てなかったとします。その場合は、その次の大会、7月中旬に行われる都総体団体・第3ブロック予選トーナメントの1回戦で、まずその3人を優先的に出場させます。3年生全員に、チームを背負ってコートに立ち、チームメイトのために戦うという経験をさせるのです。そうやって勝つというチームの方針があり、必ず自分がチームの勝利ためにコートに立つのだということが最初からわかっていれば、部員たちの日常の練習に対するモチベーションは保たれます。
 都総体団体のブロック予選を終えても、杉並区の中学テニスにはさらに区大会団体があります。7月末日に行われるこの大会は、部員数の多い学校はA、Bの2チームが出場できることになっていますので、3年生全員がコートに立ってチームを背負って戦うのです。そこまでの都大会団体、都総体団体という2つの大会の中で蓄えてきた力を、この引退試合となる区大会で存分に発揮することができるのです。結果、たった数試合しか出られなかった子でも、この区大会団体戦うことで、ブカツテニスをやり遂げたという達成感がたっぷりと残るのです。
 こんな戦い方をするためには、たとえば10人いる3年生部員全員が、それぞれの能力の中で基礎的なテニスの技術を身につけていて、ひとりひとりが自分のポジションを理解して、チームメイト同士が信頼しあっていることが条件になります。そういうチームを作ることは決して簡単なことではありませんが、少なくとも「純ブカツ系テニスの流儀」を実践してきた和田中テニス部では、毎年、団体戦が始まる頃には3年生部員それぞれがその条件を満たすだけの成長を遂げ、連帯感が生まれ始めています。そういう「チーム」を作り上げる過程で、個人競技のテニスが、中学の部活動が求める団体意識の強い競技へと変貌していくのです。

団体戦で伝承される中学ブカツテニスのチーム力
 この3つの団体戦を戦う3ヶ月間は、次の新しいチームへのチーム・ポリシーを伝承する期間でもあります。中学「純ブカツ系」のチームでは、通常、新入生が正式な部員となるのは5月になってから。ちょうど新3年、2年が参戦する個人戦シングルス、ダブルスの大会が終わり、団体戦に向かおうとしているチームに、中学生になったばかりの新入部員たちが加わります。
 この新入部員たちへの基礎技術はコーチである深田が指導します。とはいえ3年生にとってラスト・スパートの時期でもありますから、1年生ばかりを指導しているわけにもいきません。しかもコーチが毎日の練習を見れる訳ではありませんので、新入部員の日々のケアは3年生たちが中心となった上級生が行います。自分たちの練習と並行して、1年生に対しての球出しストローク練習などのコーチ役を3年生がします。
 入部したての1年生は球拾いとランニングや筋トレばかりでラケットを振らせてもらえないなんて話をよく聞きます。それは単純にスペースの問題だったり、初心者である1年生の相手をする人的問題だったりするわけです。そこで和田中テニス部は、グランドの空いたスペースを使って、1年生がたくさんボールを打つことができる環境と練習カリキュラムを作りました。その小さなスペースを使ったストローク練習などの球出し役を3年生、2年生の上級生が務めます。上級生にしても1面のコートで20人近くが練習しなければいけないのですから、必ず待ち時間ができてしまいます。その時間を使って、交代で1年生の面倒を見るのです。3年生たちは、かつて自分たちが1年生だった頃に3年生がしてくれたことを覚えているので、苦もなく1年生のケアができるのです。
 そうやって3学年がひとつのチームとして活動して1ヶ月が経った頃に、まず都大会団体があります。この大会から和田中の新入部員たちはコート内でボールを拾うボール・パーソンとして試合に参加します。同じコートの中の一番近い場所から、自分たちのためにも力をつくしてくれる先輩たちが戦う姿を見ることが、新入部員たちのテニスへの認識、チームの一員としての意識を高めます。
 この3つの団体戦は3年生中心で戦いますが、試合に出るチャンスのない2年生も全員が審判として試合に参加します。とにかく部員全員がなにかしらの役割りを持って団体戦に関わるのです。心身ともに大人にむかって急激な成長を遂げる中学時代。そんな3年生、2年生、1年生という大・中・小のデコボコな3学年が一緒に行動するこの時期に、異学年が学び合い、伝承されていく部活動ならではのエッセンスがつまっているのです。
 都大会団体後、7月に行われる都総体団体・第3ブロック予選トーナメントは、他のブロックにはない独自の大会です。他のブロックでは本大会の出場校を専門委員の教員が推薦で決めているようですので、多くの3年生部員たちは、6月初旬の都大会団体で負けた時点で実質上の部活動引退となります。ということは、多くの学校では3年生と1年生が交流できる貴重な時間がたった1ヶ月しかないことになります。
 たとえ都総体団体が予選で敗退してしまったとしても、杉並区にはさらに区大会団体戦があります。これは隣接する練馬区、中野区にもない、杉並区独自の大会で、これが3年生部員たちにとっての引退試合になります。交流の深い近隣ライバル校と戦うフィナーレに向けて団結力を強めていく3年生たちの姿が、チームで戦うことの素晴らしさを後輩たちに伝えていきます。
 この区大会団体を終えた時にチームは完成し、3年生は1年生にコートを譲ります。1年生たちにとっては、頼もしい3年生たちと過ごした3か月間の記憶が、その2年後に自分たちにもやってくる「その時」に向けての、自分たちのチームを作っていくための糧となるのです。そんなストーリーを毎年、ロール・プレイング・ゲームのように和田中テニス部は繰り返してきました。

杉並区大会団体戦を中学ブカツテニスのシンボルに
 このように杉並区の中学・硬式テニス部には、5月始めから7月終わりまでのまるまる3ヶ月間という、3年生から1年生までの3学年が同じ目的意識を持ったチームとして行動をする時間が与えられています。
 重ねて言います。杉並の中学ブカツテニスが新しいブカツのモデルとなりうる可能性を秘めていると感じるのは、この「3ヶ月間」があるからなのです。3年生から1年生が一緒に行動する5月から7月までの3ヶ月の間に、中学ブカツテニスにとって一番大切なモーメントがつまっているのです。都団体→ブロック団体→区団体と3つの団体戦があることで、硬式テニスが中学校の部活動にフィットする競技へとなっていくのです。そういう指導ができる土台を、すでに杉並の中学テニスは持っているのです。
 24年度も中学ブカツテニスを活性化する貴重なモデルの核となる杉並区体育大会団体戦が7月30日、31日に行われました。今回は最終日の31日、準々決勝から決勝戦が、杉並区高井戸にある会員制テニスクラブ、武蔵野ローンテニスクラブの11面のクレイコートで行われました。この中学校体育連盟主催の杉並区大会団体が民間クラブのコートで開催されたのは初めてのことです。しかも名門クラブといわれている上質のテニスコートが学校施設使用と同じ条件で提供されたのです。
 大会初日は学校のコートで行われて、ベスト8に勝ち残った男女16チームが、都内でも数少なくなってしまった上質なクレイコートを維持し続けている地元テニスクラブに集結。応援の部員や保護者で溢れかえる華やかな雰囲気の中で、引退する3年生たちは心に残るフィナーレを迎えてくれたことでしょう。
 武蔵野ローンテニスクラブでは、平成21年の春から、これまでに7度、クラブ近隣の公立中学・硬式テニス部を集めた合同練習会が開催されてきました。この練習会は、同クラブ代表で、地元公立中のOBでもある内藤昇一さんの「テニスを通じて地域に貢献したい」という思いを、深田が学校現場とつなげて実現した中学ブカツテニス支援イベントです。部活動にもっともっと元気をと願う外部支援の流れが、今回の区大会団体の民間クラブ開催へとつながったのです。
 このように、「区大会団体戦」という、杉並の中学でテニスをする子どもたちのためにと先人たちが点した灯りに、また新たな命が吹き込まれました。この杉並の中学ブカツテニスの活動が示すように、時代にフィットした、質の高い外部からの支援さえあれば、部活動が子どもたちにとっても学校にとっても納得度、満足度の高い教育資源として力を吹き返すはずです。
 ひとりでも多くの子どもたちが楽しくスポーツを続けていける、子どもたちとって最高の遊び場となる環境を持つことを学校も地域社会も強く望んでいます。まずは中学校の部活動で行われる競技スポーツが、全国大会を頂点とするアスリート系なピラミッドとは別に、生涯スポーツとしての基礎作りを目的とした「中学ブカツ」という新しいカテゴリーを形成すべきです。そのモデルとなるのが和田中テニス部の活動であり、杉並区中学テニスの試みなのです。この事実を広く伝えることで、多くのブカツに関わる中学生たちが、そして多くの子どもたちが心豊かにスポーツと触れ合っていける環境作りのお役に立ちたいと思っています。