術後深部静脈血栓症・肺塞栓症

深部静脈血栓症

肺塞栓症

手術後の血栓塞栓症の発生は、欧米では70年代から問題となっており、これを予防することは一般的になっている。日本では90年代半ばから注目を浴びているが、特に最近はエコノミークラス症候群という名称が一般にも注目を集め、その対策が強く求められるようになってきた。手術対象の高齢化に伴い、発生頻度が潜在的に増加していることもあり、特に下肢手術に際しては十分な対応が必要である。
術前の発生予測が困難であり、しかもほとんどが無症候性であるため発生しても見過ごされていることが多いのが大きな問題点である。重篤な病態は稀であるものの、致死的な症例が存在するため可能なかぎりその発生は把握する必要がある。現状の日本の保険制度の中では、予防的治療が困難であるために治療が後手に回りやすいことも問題である。
術後血栓塞栓症は、深部静脈血栓症 Deep venous thrombosis (DVT)と肺血栓塞栓症 Pulmonary thromboembolism (PTE)に大別される。深部静脈血栓症は、ほとんどの症例に多かれ少なかれ発生していると考えられているが、ほとんどは大きな問題にはならない。しかし肺血栓塞栓症は、重症なものが含まれ高度の治療を要することが多々ある。


発生率
欧米での術後致死的肺塞栓の発生率は、1970年頃の予防治療が行われていなかった頃は2?4%といわれていた。しかし、1990年代半ばには抗凝固療法が予防的治療として施行されるようになり、その発生は0.1?0.2%と報告されている。
一方日本では、症候性肺塞栓報告は1990?2001の十年間に125例 (♂30,♀95)であり、その内訳は股関節手術66例、脊椎手術25例、膝関節手術20例、下腿以下の骨折手術14例であった。このうち死亡に至ったもの35例を含んでいた。これは数字的には、実際の発生からは過少であると思われる。順天堂大学の報告では、症状・静脈造影・肺血流シンチのいずれかで陽性所見が得られたものを術後の血栓塞栓症とすると、THA後には19% (n=70)、TKA後には31% (n=45)に発生している。また東邦大学病院の1993?1996の間に入院した肺塞栓症は96症例で、このうち整形外科術後は13例であった。脊椎手術後9例 (397例中の2.3%)、股・膝関節手術後4例 (263例中の1.5%)であり、整形外科領域での潜在的な発生の多さを示していると思われる。


深部静脈血栓症

発生要因として、Virchowの3因子による血栓形成が有名で、血液凝固能の亢進・血流の停滞・静脈壁の異常が関係しているといわれている。Tubianaは患者背景として、肥満・高齢・妊娠・悪性腫瘍・感染症・アルコール中毒・薬物中毒・経口避妊薬・血栓症の既往などをあげている。
一般には患者年齢が高齢になると、肺予備能低下により発症しやすくなり大きな危険因子となるが、高齢者の境界には一定の見解が無く、65歳あるいは70歳以上とすることが多い。患者の肥満度も重要な因子であり、Body mass index, BMIを算出することで目安とする。下肢静脈瘤の存在は、血栓症を発生させる危険が非常に高いし、またすでに血栓形成があると考えるべきである。手術そのものでは、長時間の手術・アプローチの仕方・左側の手術・骨セメントの使用などが危険因子としてあげられているが、硬膜外麻酔を用いる場合には血管が拡張するため発生を抑えやすい。人工関節そのものも危険因子であり、術後の臥床期間もなるべく短縮し、早期離床を目指すことが重要である。
深部静脈血栓症の発生は、特発性のものが30%程度をしめており、ある程度加齢的な要因が大きいと考えられる。しかし、外傷性や外科手術後のものもそれぞれ10%程度あるといわれている。
発生部位別に下肢の深部静脈血栓症を分類すると、下肢全体、腸骨静脈(骨盤内)、大腿静脈、下腿静脈の4つに分かれる。横浜市立大学の報告によると、下肢静脈血栓症が30%、大腿・下腿静脈血栓症が25%、腸骨・大腿静脈血栓症が25%であった。それぞれの部位単独のものはいずれも10%以下で少ない。
急性型は、肺塞栓症・静脈壊死といった重篤な病態を呈するが、大多数は慢性型で、静脈血栓後症候群と呼ばれ、静脈弁破壊により静脈圧・毛細血管圧が上昇することによりうっ血性皮膚炎・静脈性潰瘍を生じることがある。
血栓症の症状は一般には、下肢の腫脹・疼痛・表在静脈の怒張などがあり、Homans徴候は有名である。
検査としては、特別なものは無く、凝固線溶マーカーであるD-dimerが高値を示すといわれているが、診断は症状と画像診断による。超音波検査は慣れが必要であるが、スクリーニングとして有用であり、確定するには静脈造影を行う。治療は抗凝固療法が第一選択となるが、血栓溶解療法は肺塞栓を誘発することがあるので行わない。


肺塞栓症

肺塞栓症は、塞栓子による肺動脈の閉塞と定義され、臨床的には血栓により生じるものが多い (肺血栓塞栓症)。肺動脈の50%以上の閉塞が生じると、肺高血圧が発生する。また塞栓子由来物質(トロンボキサンA2、セロトニン)による動脈攣縮も関与し、もともとの心肺予備能により右室負荷から心拍出量低下に至る。
重症外傷に合併する脂肪塞栓もしばしば肺塞栓症状を引き起こす。主として長管骨骨折後に発生し、骨髄内の脂肪が静脈へ流入、ストレスにより亢進したエピネフリンの作用により肺血管床への塞栓となるといわれている。呼吸不全、脳・神経症状、皮下出血が見られるが、電撃型ではDICにより死亡することもある。
単発あるいは小さい肺塞栓症は無症候性であり、発症しても軽度あれば呼吸困難・胸痛・失神・発熱などの比較的非特異的な症状しかない。検査にも特異的なものがなく、WBC↑・LDH ↑ ・CRP ↑ ・FDP ↑など、いずれも術後の変化としても考えられる異常しか認めない。胸部XPでの心陰影拡大・肺門肺動脈拡大、心電図 V1?V3の陰性T・ST上昇、心エコーでの左室圧排・肺高血圧なども認めやすい。血液ガスでCO2上昇を伴わない低O2血症はスクリーニングとして有用で、10mmHg以上の低下は疑う必要がある。確定診断は肺血流シンチグラフィによって行われるが、換気スキャンで陽性の部位に血流スキャンの欠損を認めるのが特徴である。
まず行うべき治療は、呼吸循環の管理である。一般に過換気状態となっており、CO2蓄積は無く、O2を十分投与してよい。自発呼吸低下時には人工呼吸器を検討する。まれにショックに陥るので、DopamineあるいDobutamineを使用し、右室負荷が強い場合にはDigitalisの投与を考慮する。
抗凝固療法は、新たな血栓の発生を防止するために行われる。通常、ヘパリンを数日から1週間程度、APTTを1.5?2倍の範囲で調節しながら使用する。実際には1?2万単位/dayで持続点滴する。ワーファリンはヘパリン中止48時間前から開始し、プロトロンビン時間を20?30%の範囲で調節しながら1?4mgを1?2回に分服させる。なお最近は、低分子ヘパリンが注目されている。これは、活性化部分トロンボプラスチン時間 (APTT)を延長しないため普通のヘパリンに比べ、使用時の出血性合併症が低率で血中半減期が長い特徴がある。ただし、予防投与の適応が無く、保険外診療となってしまう点に注意を要する。
血栓溶解療法の目的は、肺の血栓の溶解である。液性線溶の活性化のためウロキナーゼ (urokinase)を長時間持続点滴静注法にて用いる。1万単位/BWkg/dayで1週間程度持続した後、漸減中止する。t-PA (tissue-type plasminogen activator)は固相線溶の活性化(生理的)させる効果があり、1回/day 3日間 1時間かけて1500万単位を点滴投与する。
予防法として重要なことは、肺塞栓の原因であるDVTを早期に発見することにある。しかしDVTが無症候性であることが多く、また肺塞栓の初発症状が非特異的で早期発見は非常に困難である。DVTを発生させないように術前からの抗凝固療法や、血液のうっ滞を防ぐための理学療法を行うことも考慮すべきである。これには間欠的ポンプや弾力ストッキングの使用も有効である。血栓溶解療法は予防的には、肺塞栓を誘発することがあるため一般には術前には行わない。