グスタフ・マーラーTips
マーラーを理解するための言葉を集めてみました。
交響曲第5番
おそらく、古典的な意味での堅牢な形式感はマーラーの意図するところではなかったろう。例えば、葬列の静寂と慟哭が支配する第1,2楽章、すっとんきょうなホルン協奏曲風の第3楽章、愛の二重唱と言うべき第4楽章、そしていたる所で寸断されるようなパロディ版フーガの第5楽章という具合に、それぞれが独自の論理に従いながら、全体は緩やかに結ばれ、種々雑多な性格の交差する編み物として<<交響曲第5番>>は提示されているのであろう。(長木誠司『グスタフ・マーラー全作品解説事典』立風書房p.81)
これがポリフォニーです
マーラーからバウアー=レヒナー宛て
1900年8月聞こえますか。これがポリフォニーです。これを手に入れたのです! それは既に子供のころから、イグラウの森で私に独特な感動を与え、強い印象を刻みつけたものです。というのも、ひどい喧騒の中であれ、千羽もの鳥の声の中であれ、嵐のうなる音や波の跳ねる音の中であれ、また火がパチパチと音を立てる中であれ、それはいつも多量に響いてくるのです。主題は、まさしくそのように、全くいろいろな方面からやって来なければなりません。リズムもメロディーも完全に違ったものでなければならないのです(他のものはすべて多声になっているだけで、偽装されたホモフォニーにすぎません)。ただ、これらを芸術家が、一つの調和し協和する全体へと整理し統一することが必要なのです。
(ヘルムート・キューン、ゲオルク・クヴァンダー共編『グスタフ・マーラーその人と芸術、そして時代』泰流社 p.204)ユダヤ演劇の世界
マーラーの音楽を聴いて先ずまごつかされるのは、さまざまな様式の混合、つまり荘重な要素や滑稽な要素が渾然一体となっている点であった。これがひときわ目立つのが第一交響曲だった。このような混合のあり方がユダヤ演劇の世界に由来することは言い尽くされた感がある。・・・この無頓着な混ぜ合わせは後期作品には認められなくなるものの、異質な要素を組み合わせる手法は生きている。交響曲という形式が、さまざまな音に色付けられた音楽を並べたイメージの博物館の陳列台と化す。オーケストラによってかもし出される遠方効果や、牛の鈴にハンマーの一撃といった騒音の混入、『テンポの外で』無関係に音が鳴らされる遊びなどを聴く度に、この印象は深まる。マーラーの場合、交響曲という舞台の上でカルデロンとは別の意味での世界演劇が繰り広げられるのだ。つまりマーラーの交響曲は音楽による世界大劇場なのである。(ヘルムート・キューン「内気な支配者-グスタフ・マーラーの在りようについての注釈集」キューン&クヴァンダー前掲書 p.183)
マーラー映画
週末にマーラーを扱った映画を観直してみた。ヴィスコンティ『ベニスに死す』(1971)とケン・ラッセルの『マーラー』(1974)。『ベニスに死す』は、主人公がグスタフというだけの一般向け映画。アダージェットしか出てこない。そこへくるとケン・ラッセルのはマーラーの伝記を回想の心理劇としてオムニバス化していてマーラー理解に役立つ。炎上する作曲小屋と湖、『ベニスに死す』のパロディ、少年時代、葬儀の場面のブレイクビーツ的行進、コジマ・ワーグナーとのカトリック改宗場面などが強く印象に残る。でも、映画としては『ベニスに死す』のほうが有名で、マーラーの曲を一般の人々に広めるきっかけになった。(K.O.)
マーラー・ブーム
マーラー・ブーム。マーラーの音楽は、戦前はユダヤ人ゆえドイツではあまり聴かれず、戦後は新ウイーン学派の流行の陰にかくれがちだった。しかし1960年マーラー生誕100年にウイーンとベルリンで数曲が演奏され、1967年のウイーン芸術週間でマーラー作品ほぼ全曲が演奏されたのを機に演奏・放送・録音が広まり、「マーラー・ブーム」と呼びうる活況を呈すようになった。
マーラー・ブームはオーディオに支えられているという見方もある。
マーラーの管弦楽法にみられる極大化したオーケストラ、音色の微細なパレット、音の遠近法や立体音響、サウンドスケープ的楽器用法は、ステレオレコードによってはじめて完全に再現されると言われる。実際のコンサートホールでさえ、しばしば作曲者が緻密に設計した通りの音響を得るのは困難だった。
60年代のバーンスタインによるマーラー交響曲全集を皮切りに、マーラー録音ブームが始まった。
80年代にはCDが普及した。これまでレコードで聞き取れなかった弱音の繊細な響きまで再現されるようになり、マーラーの魅力が再確認された結果「マーラー・ブーム」が起こったとも言われる。ブルックナー・ブームも同様。
次にやってきたのは世紀末の「アダージョ・ブーム」。「アダージョ・カラヤン」に始まったアダージョ・ブームは、日本では幸田文ブームになぞらえられたのだった。「崩れ」の美学--われとわが世界が崩壊してゆく静謐な緊張感。あるいは死。(K.O.)音の空間化〜リゲティ
第五交響曲の第一楽章はマーラーによる音楽の空間化の素晴らしい見本ではないかと思うのです。音楽という手段を通して想像上の遠近法を作品に持ち込んでいるのです。第五交響曲には楽器群の遠隔配置がありません。第一楽章冒頭で葬送行進曲全体の導入となる一種のファンファーレが鳴り響きますが、これは単独であり、他の楽器を伴いません。このトランペットの合図は、幾度も繰返され、特にこの楽章の最後ては他の楽器群とのからみの中で埋もれがちですが、再度登場します。隠し味のように同じ節廻しが、遥か遠方に転位されて鳴り響くのです。これは空間的であるばかりか、時間的でもあると思います。この楽章の最後で私たちの記憶は、冒頭に単独であらわれたトランペットの合図へと結びつき、私たちの連想は、この合図にまつわる一切の音楽的出来事に及んで行さます。このメロディーが第一楽章のなかでひとつの物語をつむぎ出したわけてす。しかしこれが全てではありません。先ほど述べましたように、第一楽章の最後でトランペットのメロディーが、先ずオーケストラの中に埋もれながら現われ、今度は改めて単独で再来します。このトランペットの合図の断片は三度、私たちの耳に入ってくるのです。二度はトランペットで。そして三度目も当然またトランペットかと予期するわけですが、マーラーはこれを、今度はフルートに委ねるのです。ここでまたしてもゲシュタルト心理学的現象が、いいかえればある種の聴覚上の錯覚が生じるのです。私たちがこのフルートの箇所をきくとき、まるでトランペットがはるか後方からこだまのように答えている、そんな印象を受けるのです。このフルートはいわばカメレオンのようなものです。同じ箇所が、仮りにオーボエのような倍音の豊富な楽器で演奏されていたらこのような印象は生まれなかったと思います。倍音の乏しいフルートがこの役割を引受けるのに適しているのてす。後期のヴェルディ−『オテロ』や『ファルスタッフ』−では、低音のフルートによるファンファーレの箇所が数多くみられます。私たちの耳には殆んどトランペットのようにきこえます。マーラーが、ヴェルディのこのような例を知っていたことは、十分ありうると思います。しかしマーラーの場合、このような箇所にはさらにもう一つ特別な作曲技法上の趣向が凝らされています。トランペットが最後の合図を奏する間、ティンパニの伴奏がトレモロで続きます。しかしフルートがこの合図を引き継ぐと、伴奏楽器が替わるのです。ティンパニにとって替わって大太鼓が連打されます。ティンパニという楽器は音の高さを保つことができ、ぼやけてしまっても聞きとれます。一方、大太鼓の方は音の高さをもち合わせていません。マーラーはこうして、この箇所の音響のスペクトルを騒音のなかへと分散させ、そのまま霜の彼方へ、ぼんやりとかすむ遠方へと分解してゆくのです。そうすることによって、トランペットの合図の空間的な消滅が一層鮮やかに描き出されるわけです。 ジェルジ・リゲティ
(キューン&クヴァンダー前掲書 pp.263-264)第3楽章 スケルツォ
<<第五交響曲>>の第3楽章、八百小節からなるこの長大なスケルツォは、「生きるよろこびの賛歌」でなければならない。「生の充溢、そして感覚的な事象や生きるという単純な事実へのわくわくするよろこぴ」が、ここでは表現されねばならない。動機は多彩で、オーケストラの音色は、この世のはかなさを伝えるために、たえざる変化にさらされる。
おどけた民謡ふうの要素が、輝かしいヴィルトゥォーゾふうの華やかさと前後してあらわれ、天使のごとき気高さが、歌謡曲ふうの陳腐さと競い合う。これらすべてがあちこちに相前後してあらわれ、重なり合い、単純素朴な独奏〔ホルン)さえ、これに加わる。ここではマーラーは、のちの世代の作曲家たちのコラージュ技法を先取りしている。
グイード・アードラーがこう強調するのももっともなことだ。「第五交響曲において……、とりわけそのスケルツォにおいてはじめて……、未来の音楽家グスタフ・マーラーが、威勢よく名のりをあげる。ここでは将来試みられるであろうすべてが、つまり彼と、のちの新進気鋭の作曲家たちとの作品において試みられるであろうすべてが、先取りされている。彼らは、マーラーがいたおかげで……、またほかならぬこの作品のおかげで、彼を土台にすることができ、そぅしてはじめて先に進むことができたのだ!」
(ベルント・W・ヴェズリング『マーラー〜新しい時代の予言者』国際文化出版社 p.236)
自由な対位法〜アドルノ
対位法的作法は直接的に性格づけを行おうとする意図を持っている。腐食作用を引き起こすもろもろの性格的要素は、民謡風の旋律に対して、実に明瞭でほとんど否定に近いような、異質な旋律を付け加えようとする技術的な欲求と合致する。差異化するものとしての主題の定義が様々に絶対的なものとなり、主題独自の本質となる。性格とは言うならば差異性にはかならないのだ。それでもなお、マーラーが構造的に結合性を作曲する、すなわち様々な対位法を書き、音響空間をまさにポリフォニーで横成することは珍しい。彼がそこまで作曲した場合、たとえば第五交響曲のスケルツォや終楽章の複合部分や第八交響曲の第一楽章では、彼は様式化の原則−多くはフガート−によって、そこまで動かされたのだと言える。・・・音楽上の擬古典主義や、また確かに<<マイスタージンガー>>と同様に、マーラーは様々に、ユーモアと遊戯をもって対位法を連想している。彼にとって真剣な場合とは、形式が、自由で自律的に生きることである。しかしながら遊戯となると、すぐにポリフオニー的な欲求が起き、その欲求は構造へと広がる。後期のマーラーにあっては対位法が反乱を起こしている。彼のポリフォニーは全体として、意味を内に含みながら自由であることを同時に備えたような作曲法を求めている。そうした作曲法の決定的な要素を、彼は民俗音楽から学んだ。彼にとって対位法的に作曲するということはすなわち、一つの旋律に、それと同様に旋律的だがあまりに似ることもなくそれを覆いつくすこともない、第二の旋律を作り出して付け加えることである。田舎で歌に多声的に即興を加えるときにはこのようにすることだろう。マーラーは、オーストリア・アルプスの「歌い重ね」を思い描いていたのかもしれない。後にアルバン・ベルクは、マーラーに敬意を表したヴァイオリン・コンチェルトの中ではっきりとそのイメージを書いた。つまり、ある旋律に対して、和声的規則に従って同時に加えられた第二の旋律が歌い重ねの旋律であり、第一のものの影であると同時に、それ自体独白の旋律性をもっている。ただしマーラーの自由な対位法の場合には、円熟すればするほど、歌い重ねの元の旋律に対する従属性が薄れてゆく傾向が見られる。この傾向は、様式化された舞踊曲の中で対位法が付け加えられる場合にも見られる。こうした対位法の構想に関してマーラーのファンタジーは尽きることがない。彼はヴァリアンテにおいても対位法的に考える。互いに重なり合った声部は楽節をたえず豊かにし、形式複合における個々の再現部はそれらによって、他のものとなるのだが、それでもなお核となるものは影響を受けない。すでに第二交響曲の緩徐楽章のチェロの旋律がそのようなものとして感じられたが、それは主要主題の長いレントラーに対する二重の対位法であった。マーラーの最初の、歌い重ねに似た作り方をもつ第一交響曲の第二楽章は、ブルックナー的である。こうした重ね合わせ型のポリフォニーにおいて、マーラーはしだいに自由な対位法の巨匠となった。構造的にその技術は一つの制限に答えている。それはつまり、マーラーにおいては一様に、真に旋律的な声部が、バス声部にせよ、あるいはそれ以外の下声部にせよ、とにかく和声的な役割を果たす最低音部の上に生じる、ということである。
(Th・アドルノ『グスタフ・マーラー〜音楽観相学』法政大学出版局 pp.148-149)
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*写真上:自由が丘ベネチア村 写真下:K・ラッセル「マーラー」風コラージュ
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